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投稿日:2006-12-08 Fri
以前行った小・中学生を対象にしたSPPと同じコースを見学する際に使用できる『浅間山火山ガイド』を作成しました。下にある『大人(教師)用説明文』は、大人(教師)が子どもを案内する際のサポートとなるものです。『子ども(児童・生徒)用ガイド』は、子ども(児童・生徒)が現地を見学する際のフィールドノート代わりになるものです。文字をクリックして見てみてください。(PDFファイル)
→大人(教師)用説明文
→子ども(児童・生徒)用ガイド
このガイドを使用してみたい場合は、一言コメントを残していっていただくだけで結構です。
ファイルがご覧になれなかった場合は、↓の泰然自若HP版の方からご覧になってください。
→泰然自若HP版へ
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投稿日:2006-11-06 Mon
今回のSPPで気づいたことをいくつかあげておきたいと思います。今回は、小学校は1クラス・中学校は2クラスを案内したのですが、行動や説明のしやすさを考えると、1クラス(40人弱)がちょうど良い人数だと感じました。特に、鬼押出し浅間園では、大人数だと行動がとても大変でした。また、各見学地点についてですが、危険箇所はなく、すべてに大きい駐車場・トイレがあるので、学校などの大きい団体の見学にも適した場所だと思いました。
全体を通して、子どもたちはとても説明されたことに興味をもっていたように思えました。また、スケッチも上手に書くことができていました。今回のような野外学習では、その見学地についての知識だけではなく、フィールドノートの書き方や、スケッチの仕方なども十分に学習できることが実感できました。
子どもたちには、今回学習した内容を家族や友だちに話して、知識を広めていってもらいたいです。
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投稿日:2006-11-06 Mon
浅間案内の最後に、鎌原の観音堂へ行きました。鎌原村(現嬬恋村)は1783年に浅間園のつり橋付近から発生した土石なだれに襲われ、高台にあった観音堂に避難していた93人が助かり、それ以外の477人が死亡してしまいました。今回は、観音堂・土石なだれの説明と、参拝を行いました。(観音堂の詳しい場所はコチラを参照)

観音堂の正面には、15段ある階段がありますが、この階段は元々は50段ありました。土石なだれで下の35段は埋まってしまいました。階段の脇には、『天めいの 生死をわけた 十五だん』と書かれた石碑がありました。

昭和54年には、階段の発掘調査がおこなわれて、最下段からは2名の女性の遺体が発見されました。

鎌原村は、わずかな生存者によって復興を成し遂げました。そして、生存した人たちは先祖の供養や噴火のことを人々に伝えるために奉仕会を組織し、観音堂の脇でお茶やキャベツの漬物を用意し、接待してくれています。

このようにして、災害の記憶を次の世代に語り接いでいくことはとても素晴らしいことだと思いました。しかし、奉仕会の方々はみんな高齢です。もっと、若い世代がこの場所に興味をもち、奉仕会がこの先も活動をしていけたらいいなぁと感じました。
投稿日:2006-11-03 Fri
プリンスランドでは、ロータリー・別荘地にある黒岩の観察を行いました。(プリンスランドの詳しい場所はコチラを参照)黒岩は、元々は鬼押出し溶岩です。1783年の溶岩流出時に、浅間園のつり橋付近から土石なだれが発生し、黒岩をここまで運んできました。

プリンスランドの黒岩は、私が見た中では最大の大きさです。幅30m・高さ4m程あります。このような巨大な岩塊が、土とともにここまで流されてきたのです。ちなみに、つり橋からプリンスランドは3~4kmは離れています。
近辺の別荘地の庭には、多くの黒岩が存在しています。現在では、黒岩は別荘の人気のインテリアとなっているようです。




自然がくれた景観を楽しむのも良いですが、ほんの200年前にこの地が、黒岩のような大きい岩塊を運んでくるような災害に襲われたということを忘れてはいけません。
投稿日:2006-11-03 Fri
鬼押出し浅間園では、鬼押出し溶岩の観察・説明を行いました。(鬼押出し浅間園の詳しい場所はコチラを参照)
鬼押出し溶岩は、ブロックのようになめらかに割れています。溶岩が流れている最中に表面だけが冷え固まり、このような形に割れました。
溶岩がこのような形に割れているのは表層の10mほどと、下の地面に接している部分だけです。その間の90mほどは、あんこのような一枚岩になっています。子どもたちには、下のような概念図で説明しました。

浅間園の遊歩道の終わりには、写真のようなつり橋があります。

このつり橋の下は深い谷です。この谷は、川によって削られた谷ではありません。どうしてこの谷ができたのか、子どもに質問しましたが、少し難しい問題だったようです。この谷は、元々あった地形を溶岩が埋め立てて、埋めきらなかった部分が谷となって残っているのです。

投稿日:2006-11-02 Thu
峰の茶屋では、火山の噴火を模したコーラ噴火実験と、1783年の噴火によって降り積もった軽石の層の観察を行いました。(峰の茶屋の詳しい場所は、コチラを参照)マグマの中には水が溶けています。その水は、なんらかの刺激(地震など)を受けることによって水蒸気となり、体積が約1000倍になります。そして、その体積の膨張により爆発的な噴火が起きます。その噴火の様子を、コーラ噴火実験で子どもに体感してもらいました。
コーラには炭酸が含まれています。その炭酸は、なんらかの刺激を与えると炭酸ガスとなり、火山の噴火と同じように噴出します。このコーラ実験では、2種類の方法(振る・ラムネを入れる)でコーラに刺激を与えました。コーラ噴火実験は、(高柳2005)を参考にしました。

噴火実験で、子どもはとても興奮していました。
コーラ噴火実験でペットボトルの外に発泡したコーラが溢れてきたように、実際の火山噴火だと発泡した軽石(→用語辞典へ)が噴出されます。下の写真は、このときに観察した軽石の層です。

上部の草が生えているところが現在の地表で、下部の黒い層のところが1783年の地表です。そして、その間の灰色や黄色に見える層が1783年8月に降り積もった軽石の層です。厚さは2m近くあります。
軽石の層に、赤・ピンクの線のように見える層が確認できるでしょうか。これは火山灰の層です。軽石は一度に降り積もったのではなく、2日間のうちに何度かに分けて積もったので、間に火山灰の層が挟まれているのです。

みんな真剣に観察しています。鋭い子どもは、「この赤・ピンクの層はなに?」と質問していました。
投稿日:2006-11-01 Wed
六里ヶ原では、浅間山の景色を眺め、スケッチの練習を行いました。地学の現場学習の際には、現場のスケッチをするということはとても大事なことです。(六里ヶ原の詳しい場所はコチラを参照)
27日は残念ながら天候に恵まれませんでしたが、25日は写真のような浅間山を望むことができました。子どもたちは、噴煙の様子・小浅間山・鬼押出し溶岩を一生懸命スケッチしていました。
この時に、六里ヶ原から浅間山頂までの標高差と距離についても学習しました。六里ヶ原から浅間山頂までは、標高差が1.2kmあり、距離は4km離れています。
投稿日:2006-10-31 Tue
10月の25日と27日に文部科学省のSPPとして、所属している大学の教授が地元の小学生(25日)と中学生(27日)を相手に浅間山を案内しました。私は、そこにTA(ティーチング・アシスタント)として参加しました。今回のSPPのテーマは、『天明3年(1783年)の噴火』です。
浅間案内を行った場所と経過時間は、以下の通りです。()内は学習内容です。
【10月25日】
0930-0948 六里ヶ原(浅間山スケッチ)
0953-1020 峰の茶屋(軽石観察・コーラ噴出実験)
1035-1155 鬼押出し浅間園(鬼押出し溶岩の説明)
1250-1308 プリンスランド(黒岩観察)
1320-1352 鎌原観音堂(鎌原土石なだれの説明・埋没階段)
【10月27日】
0922-1035 峰の茶屋(軽石観察・コーラ噴出実験)
1050-1225 鬼押出し浅間園(鬼押出し溶岩の説明)
1334-1400 プリンスランド(黒岩観察)
1410-1425 サンランド入口(黒岩観察)
1431-1520 鎌原観音堂(鎌原土石なだれの説明・埋没階段)
基本的に同じ内容の案内ですが、27日の方が中学生が相手なので、より高度な内容も学習しました。また、27日も六里ヶ原での浅間山スケッチを予定していましたが、天候の関係で行いませんでした。
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